2010/01/26

020 進化するグラフィティ(?)


こんなんみつけた。
グラフィティを街から消す、行政に雇われた人たちを
「無意識的なアーティスト」であるという視点で作られた絵画論的ドキュメント。

塗りつぶされた四角はたまらんかんじにアブストラクト。
その集合体が時系列の痕跡になったり。何が書かれていたのか、想像させたりする。
次に問題になるのは、これを自主的にやったら違法かどうかという事かな?

ライターには嫌われるけど。
あ、でもこの場合好かれるためにやるわけじゃないか。
まちづくりアート予算でやれば、とか、あ、はなしがややこしいな。
このへんで黙っとこ。

2010/01/24

019 退屈している、という立派なスタンス。

先日、フィリピンからの作家のワークショップの通訳のために
天理まで行った。

話の本題はそこではなく、
行く途中で見かけた女子高生たちについて。

7人の集団で電車の中で騒ぎまくってて、
まわりの乗客は横目でチラチラと見ている。
のどかな田舎にあってかなりのヒンシュクだ。

でもよく見ると、役割分担がはっきりしていて
チームワークがよく、ある意味とても冷静な集団だった。

あまりのかっこよさに、いろんな情報と武器を渡したうえで、
この集団と一緒にツアーできたらめちゃくちゃ楽しいのにと感じた。

冷静でずぶずぶのスカム集団つくれるかな。
たのむからそのままそだってくれ。
また会おう。
かしこ。

018 twitterやめた。



昨日、twitterのアカウントを消去した。
つながってくれていた皆さんにはちょっと悪いなと思いながらも
アカウントを消去するのは結構楽しかった。

それからせっっかくなのでおなじく、
mixiとfacebookのアカウントも消した。

現代の作家は、なんとなく編集能力らしきものも必要なのだとおもうけど
おそらくtwitterってそういう方向だと思う。
そんな流れに超逆行する中で、自分の思考とその表出がどう変化するのか
いまそれを観てみたいと思った。

逆に今、めちゃくちゃ可能性を感じている。
いろんなところから飛び降りてみよう。

2010/01/20

017 新年、比叡山。

(「関西スカムビエント派」とかってなんやねんと反省中。)

contact Gonzoらしきことが始まる随分前から簡単な登山をおこなってきた。
山奥に行くと、都市とはぜんぜん違う情報があふれていてとても新鮮だった。
人がいないという事が随分と危険な事に思える。
法律がここに届いていないということがわかる。
さらに、簡単に気が狂う事も出来るんじゃないかとさえ感じる。
すれ違う登山者の中には目をあわせるのを避ける人もたまにいる。

はじめのころは、
5センチくらいの岩場に片足だけ乗っけて10分も身動きできないとか、
身動きする余裕を作るために落としたリュックが20メートルも落ち続けるとか、
迷って、日が暮れて、斜面を駆け上っていると、
暗闇の中で大量の鳥が叫びながら飛び立ったりとするなか
身を守るために叫び返したりしていた。

下の映像はもっとのどかな、先日の比叡山。
なんか棒一本でどんどん遊びが開発される。
で、帰りは何故かいつも走ってしまう。
道をそれて、斜面を落ちるように降りるのが楽しすぎる。
そういえば去年は、ぼく一人で走っておりて
そのまま精華大学でパフォーマンスしたんやった。

2010/01/18

016 関西スカムビエント派




先日出演した、オパフェ!という企画での様子をyoutubeにアップした。
今回はcontact Gonzoとしてではなく「the downhill」という名義で
新たに、ダンサーの白石紗知子、役者の臼井沙代子(エイチエムピーシアターカンパニー/http://sayocon.blogspot.com/
のふたりにも参加してもらって出演した。

舞台芸術における架空の派閥「関西スカムビエント派」をcontact Gonzoとともに代表するユニット。
今回は15分という枠での出演でしたが、2時間バーションと、山奥での20時間バージョンがあり、
現在20人バージョンを設計中です。

2010/01/05

015 「これはもはや恋愛である。」

去年、京都にグラフィティ・リサーチ・ラボ(GRL)を呼び、
新たに市民という概念を更新させようと試みたhanare
そのサイトに「淡水録」というコラムを寄稿しているハラトモハルさんが
去年からずっとcontact Gonzoについて書いてくれている。
GRLとのイベントのクロージングで京都のmetroでゴンゾをやったときに、
僕らの横でナース姿のかわい子ちゃんがみんなの歯を磨いてるときに、
そのハラさんとゆっくり話す事が出来た。
タイトルはそのときのハラさんの言葉。

これまでゴンゾは言語から逃走する物だと考えていたけどこのコラムの
「力なく横たわるもの」というタイトルの文章は、
僕らの内部に入り、それを応用し、これからも展開する「ことばたち」だと思う。

ぼくらはそれぞれに名もなく、何もおこらないというのが理想。
もしかしたらほんの一瞬、偶発的に体から木が生えてるかもしれない。
でも多くの時間はただ、よこたわってグログロと鳴いているだけ。
例えば僕らが殴らなくなったら、
今みたいな仕事はいろいろなくなるかもしれないけど、
それでも僕らは「contact Gonzo」なんだぜ。
だとかなんとかグログログロと考えた。

十牛図は、これから勉強しよう。
あまりにも、かっこいいね。

2010/01/02

014 リハーサルの模様

年末の東京遠征の直前、山に登ってリハーサル。
リハーサルというか、山遊び。
でもよくみるとこの動き、ゴンゾでも使ってるな。
と、後から気づいた。
rehearsal video of contact Gonzo.
rehearsal,,, or maybe just having fun in a mountain.
but you know, I just found out that we're quite used to these movenments.


シダを乗り越えるみかじりくん。
なんか良く分からんくなったら、
なんせ背中から対象にぶつかってゆけばなんとかなる。
a video mikahip is coming over bushes of ferns.
when you dont know what to do you just dive into the situation from your back.
something might happen.


山道をはずれてダウンヒル。
なんせ走って斜面を降りると、いろんな障害物にぶつかって、
その対象がよくわかる。
自分の意志よりも、状況が先に先にせまると己を奉仕するしかなくなる。
ぼくらの意思なんて「状況」を前に無力である。
手に負えない状況を共存し遊ぶとき、
自意識のあるヤツから順にドロップアウトする。
名無しへの過程。
out from the hiking road we downhill the tilt.
just crash into whatever is there, and you know where you are.
when the situation surrounds you before you know you just give up your identity, throw yourself out.
when you have fun in that kind of a situation kids of self-consciousness drops out first. bye-bye.
the way to the kingdom of "nameless" kids.