2010/05/17

052 メカスを勝手に翻訳した。/梅ちゃんとの旅。

ゴールデンウィークと、先週末、contact Gonzoは梅田哲也くんと旅をしていた。
ずっと運転をしながら各地をめぐり、それはとても幸せな時間だった。
いろいろなところでパフォーマンスをして、撮影と録音をした。
ぼくは新たに、音に対する感覚の必要性を感じたし、それは今後に生かされる。

それからいろいろな人と知り合った。
でも記憶の固まりが、パフォーマンス用のぐちゃぐちゃ脳と相まってランダム化している。
この固まりが肉体にとけ込むと、さらに視野が広がる。
もっと精密な作業が可能になる。
そしてさらに知る事をのぞむようになる。
それは疲労や怪我と似ている。
それは自身の拡張性を試した結果の能動的な現在の有様である。

梅ちゃんはまるで子供の頃から知ってる友人のようだ。
しかしあいつを驚かすには僕らがきちんとcontact Gonzoである必要がある。
だから楽しい。
何をしたいから一緒に行動するのではなく、一緒に遊びたいからなにかが生まれるのだ。
ともに働くとはそもそもそうあるべきなのだ。
YCAMでの仕事はまさにそようであった。
それは多くの仕事の方法、たとえば企画書からはじめるようなもの、
ではないので現場はやきもきしたかもしれないけど、みんなが温かく見守ってくれた。
感謝をしたい。


今朝帰ってきて、行く前に見つけたヨナス・メカスの言葉を翻訳した。


"As I was moving ahead occasionally I saw brief glimpses of beauty"
「歩んでいた過程で私は『美しさ』をほんの少し垣間みた。」

これまでに私は、自分の人生がどこから始まり、そしてどこで終わるのかはっきりと理解できたことがない。
人生とはいったい何なのか、何を意味しているのか、決して理解できなかった。

だから今、この大量のフィルムのロールを繋ぎあわせようとするとき、
始めに考えていた方法はそれを年代順に並べる事だったが、それを諦めてしまった。
そうではなく、偶然めぐり合わさった順番につなぎ合わせることにした。
ふとそれを棚から見つけたときのように。

なぜなら、自分の人生のどんな断片も、それがどこに在るべきなのか全く分からないからだ。
であればそのままに、手離すのだ。
ただ純粋な偶然、非秩序によって。

それは自分の日々の人生と同じで、
私には決して理解できないある種の「秩序」を(既に)有しているのだ。 

本当の人生、とでも言おうか。
もしくは本当の人々。
私は彼らがまだ分からないしw、またそうしたいとも思わない。